ご祭神は、火明命、瑞歯別命。合祀により菅原道真公、大山祇命、伊邪那岐命、
伊邪那美命、凡河内倭女姫命。
ご由緒
丹比神社に鎮まります火明命は瓊瓊杵尊の御子でありまして、丹治比氏の祖神であります。丹治比氏は今から千三百年前(奈良時代)に火明命のご神徳をうけて大変繁栄し、皇室に忠勤を働きましたので千二百年前(仁明文徳清和天皇)の時代に何度も位を授けられ神宝幣帛を捧げられたのであります。
火明命は御母神木花開耶姫からお生まれになった時仰せられたお言葉に「吾れ天神の子なり 其の名を火明命といふ 火の難に當へども少しも損ふ所なし 復倫に超れた気あることを明さむと欲ふ」と、これは火明命が火の神様であり生々躍動の神であるぞと言られた神語であり偉大なるご神徳を顕はされた神意であります。
氏子地区
(堺市) 多治井・多治井西・東多治井・真福寺・真福寺ニュータウン・丹上
(羽曳野市) 野・河原城・郡戸
ご本殿裏には樹齢千年をこえるご神木(楠)があります。
又、境内北側入口には、二本の楠が寄り添い立っており、上のほうで結ばれているように見える為、縁結びの木として親しまれています。
第一八代反正天皇(多遅比瑞歯別命)がご誕生の際、産湯をお使いになられたという井戸があります。
多遅比瑞歯別命は、その名の示すとおり歯並びのたいそうきれいな天皇で、瑞井という井戸で多遅(タチ=いたどり)の花がたくさん咲いていたところから、多遅比という別名ができ呼ばれました。現在では字が読みやすく改まり多治井となりました。
その時代では丹比神社も多遅比神社(タチヒノジンジャ)と呼ばれていました。
本殿北側には、五輪塔があります。
本塔は、仁徳天皇がお亡くなりになったことを悲しんで、反正天皇が建立したと言われています。
その為、仁徳天皇陵のある西側を向いています。
その昔、この石を持ち帰り漬物石に使用したことがあり、その際に夜になると石が泣いたそうです。
その出来事で、もとの神社に返しました。
それ以来この石は、夜泣き石と呼ばれるようになりました。
現在では、夜泣きのひどい赤ちゃんがお参りすると、夜泣きが良くなるという言い伝えがあります。